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ラ・ラ・ランド観てきた

■一瞬の追想、そのなかに真実はある。

たとえば「人生こうしていれば」とか考えることは誰にでもあると思う。

俺だって、そんな事を繰り返し考えながら生きている。

もちろん、それは考えただけで全くの無駄だ。

ああしていたら、こうしていれば、考えたところで意味はない。

「ああしていれば」という瞬間は既に過ぎ去り、過去になっているのだから。

 

だが、人間は過去を追想する、してしまう生き物なのだから。

 

別にああすればよかったこうすれば良かった、という俺個人の話をしたいわけではない。これからするのはあくまで映画の話、ラ・ラ・ランドの話だ。

 

トーリー要約

ハリウッド・スターに憧れるミアは、撮影所のスターバックスで働く傍ら、オーディションを受ける日々を送っていた。

でも結果は無残なもので、オーディションに落ち続ける毎日。

共同生活を送る役者志望の仲間から、パーティに行こうと誘われる。

仲間たちは言う。「誰かを探そう」「自らを成功に導いてくれる誰かを」

彼女たちは、業界関係者と恋仲になる事で成功の道を開こうとしていた。

しかし、パーティのさなか、ミアは途方にくれて独り呟く。

 

「そんな“誰か”を探してばかりいるの?」

「私は見知らぬ自分に出会いたい」

「いつか、誰かに見知らぬ私を見つけて欲しい」

 

一方、ジャズを愛するピアニストのセブは、ジャズの衰退を嘆いていた。

セブはレストランで、オーナーの選曲通りにピアノを弾く日々を送っていた。

しかし、彼はオーナーのいいつけを破り、フリージャズの演奏を始めてしまう。

その時、パーティを抜け出したミアは、レストランに通りかかる。

ミアの耳と心に、セブの旋律が響きわたる。

レストランに入ったミアは、一心不乱にピアノを弾くセブを目にする。

ミアとセブ、不揃いな両者はいつしか心を通わせ始める。

 

この映画はミュージカル映画だ。

俺もこの映画を観る前に散々予告を観たのだけれど、ミュージカル映画というもの自体実はあまり観たことがないというのが正直なところだった。

まともに観たのは中学の頃に「サウンド・オブミュージック」をちょっと観たくらい。

 

なので、ミュージカル映画をちゃんと観るのはこれが初めてだ。

圧巻だったのは序盤の高速道路のシーンだ。

一見単なる交通渋滞のシーンが、瞬時に劇場に代わる。

役者が車から飛び出し、車のボンネットや屋根に上って歌い踊り、ジャンプし、しまいには自転車で走り回り、トラックが開いて中からドラムが出現し、自らの野心を高らかに歌い上げる!これは映画史に残る新たな名シーンなんじゃないだろうか。

 

カメラが引いていくと、交通渋滞の車列は、パッと見200メートルくらいある事がわかり、その長い車列の全ての車の上で役者が踊っている事がわかる。

ほんの豆粒くらいの大きさなんだけど、確かにそれがわかるのだ。

ものすごく予算と人員を使った、壮大なモブ・シーンと言えるだろう。

 

ここで俺はスクリーンに釘付けになった。

ミュージカル映画がこんなに楽しいなんて全然知らなかった!という思いでいっぱいになった。

 

トーリーとしては、ミアとセブの恋物語が描かれるのだけど、この映画には二つのリアリティが存在する。

 

一つは、音楽が鳴って役者が歌い・踊っているときの世界。

もう一つは、役者が歌い・踊らずに普通にセリフをしゃべっているときの世界。

 

前者は「魔法の世界」で、後者は「映画内の現実の世界」だ。

 

前者の世界では願望が高らかに歌い上げられ、役者はその魔法の力によって物理的な制約を超える。空すら飛んでしまう!

その後、後者の世界が立ち現われ、ミアやセブにとっての挫折や経済問題などの「現実的な」問題が障害として立ちふさがることになる。ラ・ラ・ランドは、この二つのリアリティを用いる事によって物語に深みを与えているのだ。

※俺はミュージカル映画のことを一切知らないので、それがミュージカル映画というものなのかもしれない。もしもそうだったらそれは単に俺が無知なだけである。

 

物語の前半、ミアとセブが出会って恋に落ちるまでは「魔法の世界」がスクリーンを支配することになる。二人は事あるごとに歌い、踊り、空を飛び、恋に落ちる。

しかし物語の後半になると「魔法の世界」は姿を消し、ミアもセブも歌ったり踊ったりしなくなる。ミアは女優への道を諦め始め、セブは不安定な収入に悩み始める。

そして、前半を煌びやかに飾ったモブ・シーンはほとんど一切登場しなくなる。

 

映画内の現実の世界」がスクリーンを支配してゆく。

この表現方法に、俺は「おおっ」と驚いてしまった。

ミュージカル映画なのだから、音楽とモブシーンの力で二人をうまくゆかせる、という描き方もできたはずなのだ。この映画はあえてその方法を捨てているのだ。

「サウンドオブミュージック」ならそうではなかったかもしれない。

話が進むにつれ、二人の心は離れてゆく。

そして、ミアに一瞬のチャンスが舞い降りる。

そこで再びミアは歌う、前半の煌びやかなモブ・シーンとは全く違う方法で。

画面はミアを中心に真っ暗になり、ミアはただ静かに、ゆっくりと歌い始める。

ここでようやくスクリーンに「魔法の世界」が出現する。

ただし、あくまでもこの一瞬だけ。またリアリティの占有権は「映画内の現実の世界」に譲渡される。前半の爆発的な動的シーンの後に、静的なシーンを入れる事で前半と後半のメリハリをつけ、観客にミアの歌を聴かせるためにしたのだろうけど、この演出は成功していると言っていいのではないだろうか。

 

物語の終盤、二人は幸福になる。

二人とも思い描いた夢を実現し、幸福なはずなのだが、ミアとセブは一緒にいない。

 

そこで、「追想」が現れる。一瞬の閃光の炸裂とともに。

ありえたはずの未来、こうしていればこうなっていたのではないかという、甘く、そして寂寥に満ちた追想。スクリーンに再び「魔法の世界」が出現する。

 

「一瞬の追想」

それこそが、ラ・ラ・ランドという映画にかけられた魔法なのだ。

 人間は過去を追想する、してしまう生き物なのだから。

 

ラ・ラ・ランド、公開収量が迫っているのだけれど、是非映画館で見てほしい。

最後の一瞬はどうか、見逃さないでほしい。