「私はダニエル・ブレイク」観てきた
■私は社会保障番号ではない
あなたは、誰かを助ける、という事について考えたことはないだろうか。
たとえば友人でも家族でもない、赤の他人をだ。
俺は今まで人生で何度か、そういう事はあった。
駅の近くでけがをして倒れていたおじいさんに肩を貸し、救急車が来るまでおじいさんの頭を膝にのせていた。幸い大事には至らなかった。
でも、他人に根本から関わって助けるという事はとても難しい。
怪我をして障害を追っていたら、病気だったら、仕事もなく貧しかったら。
助けられるとすれば、それは行政の仕事になる。社会保障や生活保護がそれにあたるだろう、でもその社会保障や生活保護が全く機能していなかったら?その人が生活保護を受けられず、困窮するに任せる暮らしをしていたら?
その時、俺に何ができるだろうか?
あなたはどうだろう?
ストーリー要約
大工のダニエル・ブレイクは、仕事中に心臓発作を起こして雇用支援手当を受けていた。だが、役所の担当者はダニエルに奇妙な質問をする。
腕は上げられますか?帽子を被ることはできますか?
ブレイクは言う「悪いのは心臓だ、腕は関係ない!」
しかし、役所はダニエルの雇用支援手当の打ち切りを決定する。
理由は「就労可能」しかし、仕事は医師に止められていてできない。
ダニエルは役所に電話をするが恐ろしく長く待たされる。
「サッカーの試合よりも長く待たされた」とブレイクは言う。
異議申し立てをしにダニエルは役所へ行くが、そこでも冷たくあしらわれる。そこでブレイクは子供を連れた一人の女性、ケイティに出会う。
彼女もブレイクと同様に、生活保護を受けることができなかったのだ。
ブレイクは、彼女の生活を助けようと手をさしのべる。
観に行く前、非常に重い内容の映画かと思った。
しかし、不思議な明るさがある映画だった。
それはひとえに、作品全体を覆うユーモアと優しさがあったからだ。
デイヴ・ジョーンズ演じるダニエル・ブレイクは、困難な状況であってもユーモアを忘れることはなく、常に自身を「ノーマル」に保つことを忘れない男だ。
作品全体を覆う優しさやユーモアは、ダニエル・ブレイクの優しさとユーモアだ。
だからこそ、この作品は暗く重苦しい「だけ」のものにはならなかったのだ
ブレイクの隣人「チャイナ」も、クレバーで明るい若者として演じられている。
ダニエルはケイティのトイレのパイプを修理し、窓をエアキャップで断熱し、自作の飾りつけを子供部屋に施す。ケイティが笑い、子供が笑い、ダニエルも笑う。
しかしその明るさは「ギリギリの一線」なのだ。
自らの尊厳を保つため、困窮の最中にあってどうにか笑って生きていくための、守るべき絶対厳守の防衛ラインなのだ。
明るく振舞うブレイク達とは対照的に、 役人たちはダニエル達を冷たくあしらい続ける(というか、民営化の影響で対応する人のほとんどが役人ではなく企業のアウトソーシングなのだが)受給手続きにはまず電話をしてください、そこでオペレーターにつながるまで恐ろしく長く待たされ、ようやくオペレータに繋がっても、今度は担当者からの折り返しの電話を待ってくださいと言われて通話が切れる。担当者からの電話はいくら待っても来ず、役所に行けば「担当者からの折り返し電話が先にありますのでそれを待ってください」と言われる。異議申し立ての書類はWEBから、だが長年大工仕事をしてきたブレイクはパソコンが使えない。ただただ時間だけが無意味に過ぎてゆく。
だが、ダニエルはそんな機能不全を起こした社会保障制度にNOをつきつける。
己の尊厳をなくさず、懐に携えたまま。
そうしている間にも、ダニエルとケイティに貧困は容赦なく襲い掛かる。
電気代の支払いがままならず、ダニエルは家具を売り払う。
パソコンを借りてどうにかWEBの書類にサインしようとするがうまくいかない。
ケイティは子供たちに食べさせるために自分の食事を抜く。
あまりの空腹に、ケイティはフード・バンクで貰った缶詰を開け、食べてしまう。
子供たちの服を買うために自分の生理用品は買わず、万引きに手を出す。
そして、子供の靴が壊れてしまった事をきっかけに、ケイティは体を売り始める。
ダニエルはどうにかケイティに娼婦を辞めるよう諭すが、ケイティは生活のためダニエルとの交友を断ち切ろうとする。
さて、ここまでであなたはどう思っただろうか。
ダニエル、ケイティは愚かだろうか。これは全て、彼らの不手際だけでこうなったのだろうか、これは果たして「自己責任」の一言で切り捨てるべきだろうか。
俺はその一言で切り捨てるべきではない、これは彼らのせいなどではないと思った。
あなたはどうだろう。
ケイティが体を売らずに済むようにするためには。
ダニエルが雇用支援手当を受け続けるには。
彼らを助けるにはどうしたら良かっただろうか。
制度が機能不全を起こした状態で、彼らを助けるには。
俺にはどうすればいいのかわからなかった。
だが一つだけは言える。
人間は何かの形で、誰かの役に立つことができる。
手を差し伸べることができる。
それが根本的な解決にならずとも、そのひと時だけでも助けることができるのだ。
ダニエルの、ケイティの尊厳は、俺やあなたの尊厳だ。
俺も、あなたも、見知らぬ誰かを助けることができるのだ。